| 俺が昔、海へびだったころ、海面が波立って、大きな影がかかり、海の中が真っ暗になったことがある。 俺が海面から顔を出すと、大きな竜がゆうゆうと空を飛んでいた。あまりの大きさ、力強さ、美しさに俺はみとれてしまった。 海へびの長老に聞いたら、竜も、もともとは海へびだったと言う。海に千年、山に千年すんだへびは竜になるのだと言う。 俺はそれを聞いて、自分も竜になると決意した。 しかし、二千年も生きるのは大変だった。他の生き物に食われないようにするだけでも一苦労だが、寿命をのばすために、いろいろな海草や魚、虫などを食わなければならなかった。 苦労話はいくら話してもつきないからはしょるが、ようやく二千年生きのびた俺は、ある朝、自分のからだがいつもと違うように思えた。 草むらの中に寝ていたはずが、大きなみぞの中にいた。しかし、それはみぞではなく谷だった。 竜になったことを悟った俺は、大声をあげ、からだを思いきりくねらせた。まわりの空気がふるえ、岩山がくだけ散った。 俺は空にまいあがった。世界は美しくかがやいていた。しかし、それ以上に俺は自分自身がほこらしく、りっぱだと思った。二千年もかけて夢を果たし、偉大な生き物になったのだから。 俺は毎日幸せな気分で、空を飛びまわっていたが、だんだんつまらなくなった。俺以外に竜がいない。俺が海へびのころに見たあの竜はどこへ行ったのか。死んでしまったのか。竜はそう簡単には死なないはずなのに。 とにかく、俺はひとりぼっちだということに気づいた。竜と同じぐらい偉大な生き物で、なおかつ俺が偉大な生き物だとわかるのは、人間しかいない。人間はかしこいはずだ。 そこで、俺がどんなにりっぱなのか、わかってくれる人間をさがすことにした。 「それで、わたしをさらってきたの」 マヤは怒った顔で竜を見上げた。 「そうだ。村の女たちの中で、おまえが一番かしこそうできれいだったからだ」 竜がそう言うと、マヤはちょっとだけ顔を赤らめた。 「いくらあんたがさびしいからってね、人の気持ちも考えずにさらってきたら、だれも友だちなんかになってくれないわよ」 竜はふしぎそうに首をかしげた。 「別に友だちになってくれなくてもいい。俺の話を聞いて、俺をりっぱな生き物だと思ってほしいだけだ」 「なんて身勝手な。そりゃあ、ただの海へびが二千年も生きて竜になったのはえらいわよ」 竜はちょっとうれしそうな顔をした。 「だけど、竜になったあんたは何をしたいの。何のために竜になったの。ほめてもらいたいため」 「俺は竜になりたかっただけだ。竜になって何かをしたいと思ったわけじゃない」 「だから、あんたはさびしいのよ」 「俺がさびしい?」 「そうよ。竜になっただけで終わるつもりなの。竜の力を何かの役にたてるべきじゃないの」 竜はしばらく考えこんだ。 「何をすればいいのだ」 「私の村では長いこと雨が降らなくて、井戸がひあがってしまったわ。おかげで毎日、山奥まで水をくみにいかないといけないの。雨を降らすか、水を簡単に手に入れられるようにできるかしら」 「どちらもおやすいごようだ」 竜はマヤを背にのせて、彼女の村へもどった。村人たちは空を見上げ、恐れおののいた。 竜は黒雲を集めた。雷鳴がとどろき、またたく間に大粒の雨が降りはじめた。ひあがった畑の土が黒くうるおい、作物もみずみずしい緑色を取りもどした。 「すごいじゃない」 マヤが笑顔を見せた。 竜はいい気分だった。 マヤは村におろしてもらい、村人たちに竜が雨を降らしたことを話した。村人たちは口々に竜をほめそやし、感謝を述べた。 竜はますます気分がよくなった。 雨ばかり降らせると今度は日光が足らなくなるので、竜は黒雲を払い、山の上にある湖から水をひくための用水路を造った。竜にとっては何ほどのことでもなかった。 竜は毎日マヤを背中に乗せて、村中の畑を耕したり、村人の手伝いをした。そして、時間があまるとマヤに世界を見せて回った。 マヤのすなおに喜ぶ顔を見ていると、竜はそれだけで満ち足りた気持ちになった。マヤが身近にいなくなることを想像すると、こわくなるほどだった。 そこで、竜はマヤに言った。 「俺の妻になってくれ」 マヤはこまったような顔をした。 「あんたのこときらいじゃないけど、竜と結婚することはできないわ」 竜は胸に穴があいたような気がした。やみくもに空を飛び回った。大声をあげて空気をふるわせ、人のいない海に嵐をまきおこした。 三日三晩、あばれまわったが、気持ちは晴れなかった。 しかたなく、村の近くの砂漠におりて、からだをやすめた。目をつぶって何日もじっとしていた。 「自分は何のために竜になったのだろう。このまま竜として生きても、とうてい幸せとは思えない。人間になれたらいいのだろうか」 その竜のつぶやきを聞いている男がいた。ヤンというその男は、ずっと竜のことを観察していた。 「竜が人間になるのは簡単なことです」 そう言って、竜の前に姿を現した。 竜はおどろいた。 「ほんとうか」 「ほんとうです。皇帝になればいいのです。皇帝は竜の化身とされていますから。かってこの国を統一して皇帝になった人がいましたが、その人も元は竜だったということです」 竜は、昔自分が見た竜のことを思い出した。あの竜がどこにもいないということは、人間になったからなのか。 「そもそも、竜の力をこんな小さな村のためだけに使うのはまちがっています。竜の偉大な力は、世界全体のために使うべきなのです」 ヤンは小さな王国がいっぱいあるから戦争がなくならないのだと思っていた。すべてをまとめてひとつの国にすれば、平和になってみんな幸せになれるのだと、竜に説明した。 「なるほど」 竜はヤンの指示に従い、まず、マヤの村を支配している王をたおした。竜の力の前にはどんな武器も無力で、兵士たちはばたばたとたおれていった。 村にもどってきた竜に、マヤはこわい顔で立ちはだかった。 「いったい、どういうこと。あんたの力には人間なんかひとたまりもないわ。私たちがありを殺すのと同じことよ。いったい、どうしてそんなことをするの」 竜はとまどった。竜のかわりにヤンが説明したが、マヤはなっとくしなかった。 「平和のために人を殺していくの」 何がどうであれ、俺は人間にならなければならない、竜は心の中でつぶやき、マヤに告げた。 「皇帝になってもどってくる。待っていてくれ」 マヤはあぜんとして、竜を見送った。 竜は次々とまわりの国をほろぼしていき、いともたやすく世界を統一してしまった。 そして、竜が皇帝になる日がやってきた。 王宮の中庭に竜が横たわり、頭に皇帝の冠がのせられたとき、空がかげり、激しい雷鳴がとどろいた。そして、いなづまが竜の上におちた。 衝撃でまわりの人間は皆気を失った。やがて、皆が意識を取りもどした時、中庭には皇帝の冠をかぶったひとりの男が立ちつくしていた。がっしりしたからだに髪を肩までたらし、濃いくちひげをはやした堂々たる中年の男だった。 「やったぞ。人間になったぞ」 男は、激しい雨の中、両手を高々と上げ、喜びに満ちた顔で空を見上げていた。 人間になった竜は、竜帝と呼ばれることになった。ヤンがすべてのことをやってくれたので、竜帝は宮殿でうまいものを食べ、遊びほうけるだけだった。 女たちが何人も竜帝にかしずき、彼の偉大さをほめそやした。竜帝は気分がよかった。しかし、マヤのことを忘れることはなく、ヤンにマヤを呼ぶように命じた。 マヤが部屋の中に入ると、竜帝は満面の笑みをうかべて立ち上がった。 「どうだ。りっぱな人間になっただろう。これなら、俺の妻になってくれるよな。皇后だぞ」 そう言って、竜帝は手をさしだした。 マヤは悲しそうな笑顔を浮かべた。 「私があんなこと言ったからなの。でも、私には今のあんたより、竜の方がよかったわ」 マヤは走り去った。 竜帝はとほうにくれてしまった。 「なぜだ。せっかく人間になったというのに、今度は竜の方が良かっただと」 「女というのはわがままなものです」 ヤンが竜帝をなぐさめた。 「あんな女のひとりぐらい、どうでもいいではないですか。あなたさまには、いくらでもいい女が手に入るのですから」 ヤンは国中から美女を集めてきた。 竜帝は毎晩のように女たちと酒を飲んで騒いだが、そのうちあきてしまった。 「くそ、せっかく人間になったというのに、それでも俺は幸せにはなれないのか。いったい、どうしてなんだ」 竜帝がテーブルにこぶしをたたきつけたとき、頭の中で声がした。 「ほんとうに大切なものを手に入れない限り、幸せにはなれない」 竜帝はおどろいてあたりを見回したが、だれもいない。 「だれだ」 「おまえの前の皇帝だ」 「じゃあ、俺が昔見たあの竜か。あなたは幸せだったのか」 「さあ、どうだろう。竜になろうが、皇帝になろうが、何が大切なものか、わたしには結局わからなかった」 竜帝はしばらく考えこんだ。 「俺にとって大切なものというのは、何だ」 竜帝は問いかけたが、声はもう聞こえてこなかった。 竜帝は女たちを遠ざけ、酒を飲むのもやめて、ふさぎこんだ。 ヤンが心配してやってきた。 「どうされました」 「ヤンか。俺には生きている意味があるのだろうか」 ヤンは顔をくもらせた。 「あなたさまのおかげで、この国はひとつにまとまり、民もみな幸せにくらしております。あなたさまがいなければ、いつまでも戦乱がたえず、みな、不幸のままだったことでしょう」 どれほど、ヤンが竜帝の功績をたたえても、竜帝の気分は晴れなかった。 ある日、竜帝は夢を見た。 夢の中でマヤは病気で寝こんでいた。まくら元に家族が集まっている。医者は、もうだめだろうと話した。この病気を治すには、北の果てにある、特別な薬草が必要だが、それを人間がとってくることは不可能だ。 目覚めた竜帝は、おどろいて、マヤの村に使いをやった。すべては夢で見た通りだった。 竜帝はヤンを呼んだ。 「竜にもどるにはどうすればいい」 ヤンはおどろいた。 「なぜ、今さら竜にもどる必要があるのですか」 「大切なもののためだ」 「皇帝をやめれば、竜にもどることができますが、皇帝の位よりも大切なものなのですか」 「おそらく」 竜帝は中庭に出ると、冠をはずしてヤンに手渡した。その瞬間、黒雲が集まり、雷鳴とともにいなづまが走った。 竜帝は竜にもどり、空高くまい上がった。 竜は、いちもくさんに北の果てをめざした。 北の果てが近づくにつれ、空気はうすく、冷たく、はげしい嵐がふきあれた。 寒さで顔が凍りつきながらも、竜は飛ぶのをやめなかった。竜は自分に言い聞かせた。これこそ、竜にしかできないことだ。人間にはとうていたえることができない。 竜は北の果てにたどりついた。 固い氷をわって、その下にある薬草をとりだした。 そして、またいちもくさんに南をめざす。 南に向かうと、あたたかくなったが、休みなく飛び続けている竜のからだは、もうぼろぼろだった。 それでも、竜は飛ぶのをやめなかった。 ようやくマヤの村に着いた時、竜は力つき、どんと大きな音とともに、地面に落ちた。 おどろいて集まってきた村人に、竜は薬草をさしだした。 「これを、マヤにあたえてくれ」 薬草のおかげで、マヤの病状は良くなり、数日で起きあがれるまでになった。 「竜はどうしたの」 村人が案内した場所には、竜の形をした大きな穴ができていたが、竜の姿はどこにも見あたらない。 マヤの涙がひとしずく穴の中に落ちた。その涙が落ちたところには、ひからびた小さなへびがいた。マヤの涙を吸うと、へびはからだをふるわせた。 やがて、雨が降り出し、大きな池ができあがった。 マヤがその池のほとりに立ちつくしていると、へびが泳いで近づいてきた。マヤはぎょっとしてからだをうしろにひいた。が、竜が昔は海へびだったことを思い出すと、はっとして池をのぞきこんだ。 へびはマヤをみつめている。 マヤが手を水の中に入れると、へびはまるで喜んでいるかのように、まつわりついてきた。マヤは半分泣きながら笑った。 |
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