ペシミストと悪魔



 今のご時世では、悪魔呼び出しを行ってくれる人間はほとんどいない。だから、俺たち悪魔も呼び出されるのを待つのではなく、自分から積極的に営業に出なくてはならない。 若い連中を相手にする奴も多いが、俺はもっぱら年寄りが相手だ。
 死が近づいてきた老人ほど生に執着するから契約は楽だし、魂の回収に要するまでの時間も短くてすむ。
 今日も俺は、七十近い一人暮らしの男の家に出現した。
 いきなり目の前に現れるのが一番いい。悪魔だと証明する手間が楽になる。
 その男は当然のごとく驚いたが、すぐに気を取り直した。
「なるほど、あんたは悪魔で、おとぎ話にあるように、魂と引き替えに三つの願いをかなえてくれると言うわけだな」
 やけに冷静な男だ。
「昨今はうちらの業界も不況で、願い事はひとつになってるんですけどね」
「三つもひとつも私には同じだ。願い事なんてないからな」
「え?」
 俺は驚いた。
「願い事がひとつもないということはないでしょう。むろん、不老長寿は無理だし、若返りも無理です。でも、ほしいだけお金を出すこともできるし、若い女だって出せますよ」
「金も女も、もう十分だ」
「それなら、名誉は」
「この歳で名誉なんぞいらんよ」
「ほんとに、何の願いもないのですか」
「そうだな。強いていえば、ないこともない」
 俺は、そうだろ、そうだろと舌なめずりした。
「それは、何でしょうか」
「人類を滅亡させてくれ」
「人類滅亡?」
「そうだ、人類滅亡だ」
「あなただけは生き残るようにするのですか」
「いや、私も含めて滅亡させてくれ」
 俺は頭を抱えた。ペシミストというやつか。魂ひとつで人類を滅亡させてしまったら、俺たちの商売あがったりだ。しかし、契約拒否というのもプライドと評判に関わる。
 俺はひとまず退散した。
 悪魔社会も会社組織になっていて、会社に戻った俺は上司にこの件を話した。上司も頭を抱えた。
「人類滅亡なんて、俺たちの権限じゃ無理だ」
「あったりめーだろ」
 いきなり、目の前に白い大きな羽をはやした白服の男が現れた。大天使だった。
「ああいう馬鹿な野郎はおまえたちの手には負えないだろう。俺が何とかしてやるよ」
 俺と上司は平伏するしかなかった。
 大天使はまずその男の家にやくざ者を送って、脅して家を追い出した。
 公園のベンチで寝ていたその男に、若い連中がよってたかってなぐったりけったりした。
「ひでえ。あれじゃ、よけいに厭世観が強まるだけじゃないか」
 俺と上司は顔を見合わせた。大天使がその男を殺して人類滅亡の望みを捨てさせようとしているのかと思った。が、大天使が人殺しをするとは思えない。
 病院に運び込まれた男は、瀕死の重体だったが、何とか持ち直した。しかし、今度は末期の癌であることがわかり、医者が告知した。 男は落胆してどなった。
「おい、悪魔、出てこい」
 俺はしぶしぶ出ていった。
「早いところ、人類を滅亡させろ。おまえら、俺が死ぬのを待ってるんだろ」
「そ、そんなことはないです。も、もうちょっと待ってください」
 俺は退散した。
 男はやけになって、看護婦に当たり散らした。どの看護婦も彼を避けたが、ひとりの若い看護婦だけが親身に彼の介護を続けていた。 男がどんなに無理難題をふっかけてもにこやかにかわし、男が落ち込んでいる時にはまるで母親のように励ますのだった。
 ある日、男はその若い看護婦に車椅子を押させて病院の屋上で日光浴をしていた。
「あんたみたいな子がいるんだから、人間もまだ捨てたもんじゃないな」
 男は看護婦を振り返って笑った。そして、よろよろと立ち上がると、いきなり手すりをこえて飛び降りた。
 若い看護婦の悲鳴が響いた。
「悪魔よ。人類滅亡なんて望みはキャンセルするよ」
 薄れゆく意識の中で男はそうつぶやいた。

「要は愛さ。愛こそすべてよ」
 大天使が、かかかと笑った。
「しかし、おまえも甘ちゃんだな。別に助ける必要なんてなかっただろうに」
 俺は憮然としていた。
 俺たちの前には、無傷のまま地上に降り立ち呆然とする男と、その男にすがりついて泣いている若い看護婦の姿があった。

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