あけぼの印刷・あけぼの出版

県民の福祉とくらし、沖縄の文化を守り、平和と社会進歩に貢献する



















     プレビューと解説(4)



 (16)置き去りにされた老人たち

 戦場で、真っ先にやられるのは、心身の不自由な人たちです。聾者は爆発音や銃声が聞こえず、足の不自由な者は逃げる事もできませんでした。体の弱い老人たちは、達者な者から見れば足手まといで、置き去りにされました。戦場ほど極限状態での人間の弱さをさらけ出させる場所はありません。平和な家庭であれば、敬われ、丁重にされたであろう老人たち。動けなくなったのか、しゃがみ込む老媼。彼女の思いをよぎるものはなんだったでしょう。


 (17)戦場の子どもたち

 15枚目の老人たちの項でもかきましたが、体力のない者は、弾の雨が降る戦場に置き去りにされました。うつろな瞳、白旗を掲げる少女、この写真の中での救いは、傷ついた子をいたわりの目で見ている親でしょう。一家の食糧だろうか、南京袋を担いでいる親も、声はかけるが、手は出さない。戦場の悲しい性です。


 (18)鉄の暴風をくぐりぬけ

 この写真は、恩納村仲泊の人々です。当時としては、奇跡的に村中の過半数が命をながらえ、助かりました。しかし、沖縄の当時の人口(在住者のみ)約50万名の3分1が死没しました。


 (19)日米両軍の狭間で

 日本軍の自決強要は広く知られたところですが、米軍もまた、無差別殺人をおこないました。米軍は、6月18日米第10軍司令官バックナー中将の戦死の翌日、現糸満市国吉などでおこなわれた、老幼の区別なく男だけを虐殺したことは、あまりにも有名である。 この図は、日米両軍の自殺強要と虐殺の人員、現場を図示したものです。



 (20)戦争マラリア地獄

 波照間国民学校の識名校長の「忘勿石」は、あまりにも有名です。1999年石垣にマラリア祈念館ができましたが、稲嶺知事の「国策に反する事は、いかがなものか」と、犠牲や悲惨さを薄める展示がなされ、県民の総反撃を受けました。私たちは、戦争の悲惨さを正確に後世に伝えていくべきだと、思います。それが「鉄の暴風」に倒れた人々への、本当の慰霊になるのではないでしょうか。