あけぼの印刷・あけぼの出版

県民の福祉とくらし、沖縄の文化を守り、平和と社会進歩に貢献する
























     プレビューと解説(7)



 (31)乗り込んできた自衛隊

 私たちが望んでいた復帰が、1972年5月15日と決まりました。すると、最初にや
ってきたのは、憲法の施行ではなく、憲法違反だといわれている自衛隊でした。


 (32)沖縄からの自由出撃

 沖縄戦の後「戦争は、もういやだ」と誰しもが思ったのに、中国で、国府軍(将介石軍)と八路軍(共産党軍)の国共内戦が始まり、沖縄は、米国の国府軍援助の兵站基地とされました。国府軍の約2個大隊が沖縄に進駐してきたのを手始めに、その後、朝鮮戦争、ベトナム戦争の出撃基地として米軍は、連日B52爆撃機を発進させました。沖縄県民は「核も基地もない平和な沖縄」をめざしたのに、復帰したいまもアメリカの世界戦略の出撃自由な基地とされ、日本政府は、それを承認しているのが現状です。


 (33)基地の中のオキナワ

 タイトルの言葉はよく聞くけど、改めて地図を見れば胸に落ちます。陸地だけでけなく、水域と空域を合わせた米軍基地の状況を示した地図が、このパネルです。本島から南北大東島に行くには、25〜30キロ(飛行時間で約6秒)前後の空路しかない、この空路も演習が始まると、カンガルーという名の演習空域で閉ざされてしまう。久米島にもモビルー8とかオキと言う演習域が設定されます。本土行きの空の便は、那覇から沖永良部島まで米軍の管制を受けています。これで日本は、本当に独立国といえるでしょうか。


 (34)戦場へ直結、即応態勢の嘉手納基地

 旧日本軍航空本部によって1943年夏頃から造られ始めた滑走路約1,000メートル前後の飛行場は、米軍侵攻の1945(昭和20)年4月1日に即日占領され、日本軍は、実戦に使うこともなく県民延べ約63,000名を動員した徴用労働もなんのための徴用だったかわけがわからないありさまになりました。また、地主は、本土各地で戦後行われた農地改革で、旧地主や小作人が国有地にされた日本軍々用地を取り戻したのに、沖縄ではそれすらなく、最高裁判所は、薄弱な根拠で旧日本軍が、ただ同然に取り上げたこれらの土地を国有地と認定しました。滑走路も、旧日本軍が建設した当初の約4倍に拡大延長され、米軍の海外での最大、最強の総合航空基地となっています。



 (35)海兵隊の総合基地・普天間基地

 この基地は、沖縄戦の最中に構築された基地だと言う事を「米軍の占領展開図」で述べました。戦後は長いこと放置されていましたが、朝鮮戦争の時、初めてジェット戦闘機F86Fが実戦配備され、カデナ基地のB29爆撃機と連日朝鮮への空爆に飛び立ちました。それ以来、使用され続けられ、海兵隊の重要な航空基地として、世界各地への殴り込みの先兵の役目を果たしています。